昭和50年02月23日 月例祭
信心を頂く事によって心が、豊かに美しゅう成って参ります。物の見方又は考え方もそういう美しい心で豊かな心で見ますから、腹を立てねばならない時でも、又はくよくよしなければならない時でも、むしろその事を有り難いと言う様な心で、すきっとして心の中に受け止める事が出来る。そういう心が又次のおかげを頂いて行くのです。真に有り難いと思う心がすぐに御影の始。普通で言うならば悔まねばならない様な事柄に直面致しましても、ね、それを有り難いと受ける心、是がすっきりとした心なんです。
又事実それが本当な事でもあるのです。ですから本当な事が解らして貰うて、それを普通で言うなら悔まねばならない様な事でも、それをすっきりと頂く。ね、そのすっきりと頂く心が次ぎのおかけが、又すっきりと表れて来ると言う事になるのです。段々信心を進めて参りますれば参ります程、そう言う様な何時もかつもが豊かで、心が麗しくて只有り難い、勿体ないというておる時だけではありません。
やっぱ信心が進めば進む程、またそう言う事柄にも直面するのですけれども、それを信心で頂いて行くと言う所が違うのです。私今晩のお月次祭を頂きながらも、心にちょっと掛かる事がある。今日は若先生がお月次祭にご無礼いたしております。今日は田主丸の教会の報徳祭で御座いましたから、秋永先生と一緒にあちらにおかげを頂いて、そして夕方帰ってまいりまして、私にあの挨拶をしたまま休みこんで寝込んでしまった。何かこう手足が痛いと言う事です。
それでまあおかげで、光昭が若先生が変わりを勤めさせて貰うて。今日は楽人の笛が一貫、そんな訳で欠員であるし、琴も今日は公子さんが休んでおりましたから、何時もより一面、所謂楽人に二名の欠員がある。どうした所どう言う所に間違いがあったのだろうかと、矢張り思うてみる、ね。けれども其処ん所はです生身ですから、凡夫の事ですから、何処にお粗末がご無礼があるやら解りませんけれども、そう言う例えば事が度重なって行って行くうちに、問題が問題になって行くのだとこう思います。
そう言う所にも、心を使うて行かなきゃならない。そんなはずはないのに、どうしてこんな事になったんだろうか、と、こう思わず心がそれに引っ掛っておりました。大幣行事の時に、私がこう祓って貰わなんが私が、御祈念を一生懸命物思いに耽っとるもんですから、久富先生からこうやって突かれて、はっと思うたら、あれが出けておる所じゃった。そこから慌てて、お払いを受けた様な事でした。
そう言う様な所から、言わば徒労夫が被ると言う様な事を申しますですね。難儀な事が起こって来るのは、そう言う様な事からだと思うのです。そんな事を私只今の御祈念をさせて頂きます時に思っておりましたらね、忠臣蔵のあのお芝居に、山崎回路のという所がありますよね。しじうちかんぺいが出て来る所です。あそこの場面を頂くんです。ね。ご承知の様に、お母さんとの道行きがあって、そして主人浅野匠守が切腹をされた場にも居合さず、しまっておる。
そこへ同士の人と合う訳です。そして話を聞くと幾ら幾らの金を、加担金と言う物を納めるから、ね、その敵討ちの同士に加えて貰う事が出来る事を聞きます。はあ是は本当に自分が親不孝をしておった間に、ね、それこそ大事な場にも居り合せない事を後悔させて頂きながら、しかも何十両という金を加担金を納めねばならんが、果たしてそう言う金も、持ち合わせもないがまあなんとした事かと思うて、心も暗き闇に迷うておる時、丁度やまここ獅子に会うというのです。
ですから、ね、それこそその獅子を認めましたから討ちました。やまこししに出会って討って放てば誤たず、ね。確かに手応えあったりと思うて近付いて見たら、獅子ではなくて、人であった、旅人であったというのです。ね。薬はないかと懐中に手を入れて見ると手に当たった金財布です。ね。それこそ南無三しまった。と、そこで後悔致しますけれども、もうあとの祭りである。
そこへ心の中にはぁお金がいる、お金がいると思うておる所へ、やっぱ実際は金を取ろう等と思ってはいないのですけれども、ね、薬はないかと懐中に手を入れた所に当たったのが金財布である。しかもそれにはお金が入っておった。是は天が吾に与えるものと言う様な解釈をした訳です。そして持って帰って見た所がです、ね、そこに運ばれたのは、父余市平衛兵の死骸であった、ね。そこへさきげん会った二人の、神崎与五郎他一名の侍がやって参ります。ね、
そしてさっき受け取った、お金、半金をそのお金で納めてある訳です。ね、どうもそれに不審があるというてまた回り道をして、その、余市平衛兵のお宅に寄らせて頂いてる所に、家では騒動をやっている所。ね、父余市平衛兵が殺されてる。ね。そこでもうのっぴきならない言い訳が出来ない事になるのです。ね、それこそ金は女房を売った金であった。ね、討ち留たるは、討ち留たるはといいます、ね、討ち留たのは、父、余市平衛兵であったと同時に、腹に刀を突き立てる訳であります。ね。
それこそセリフの中にもあります様に、春日の橋と食い違い、ね。所謂その言わば心が暗い、心がさっぱりしない、そこにはね本当な事をしておっても、本当の事じゃない様な事に、反対の方のタイミングが出て来ておる訳です、ね。本当いうたら父余市平衛兵の仇を討ってるんですけれども、自分が討ったともう思い込んどる訳です。申し訳なさに腹に刀を突き立てるという、所謂勘平の腹きり場と言う事になるのです。ね、
人間の運命と言う物はです、本当に有り難いと言う事かで、ね、有り難い方へ転がって行けば愈々運命の、よい運命へ展開して参ります。けれどもそれが反対の言わばタイミングが出て参りますとね、それが本当はお礼を申し上げねばならない事に不平をいい、有り難いはずの事に、それを不平不足を言うと言う様な事に、こうなって参りますと、運命は反対の方へコロコロと変わって行くのです。
先日からも頂きます様に、ね、私共は日々そういう運命の岐路にたっているんだと言う事であります。有り難いと思うたり腹を立てたり、ね。腹を立てたり又有り難いと思うたりで、信心しておるから、おかげは頂いておるけれども、どうどう廻りで一行に進展しないというのは、そう言う所にあるのです。ね、信心はだからもう結局どの様な事であっても、心にすっきりしない事があっても。
今日、高芝さんのご親戚にあたる方が、ある子供さんの難儀な問題で、お願いに何時も見えるんです。私からまあ聞いたらそう難儀な問題じゃないけれども、お父さんとしてはそれこそ、夜も眠られん位に、自分が神経衰弱になる位に考えておられる。そしてお取次を頂いて御理解を頂かして貰うたら今日はこう言われました。「先生、不思議に此処へ来るとね、心が太うなります。心がすっきりとします。真っ暗い心で参って来たのが何か知らん、付いた物が落ちた様にすっきりとした心で帰る事が出来ます。」
岩沢さんと申します、「岩沢さん、それが次のおかげを頂く元ですよ、今あなたが言って居られるそれが見よってごらん、それが必ずおかげの元になりますが」と、いうて帰られました。ね、信心がないと心が詰ってしまう。心が暗いそれこそ、ね、確かにその討ち留たるは、仇を討った事になっておるのだけれども、ね、それを自分が周到、自分が撃ち殺したと錯覚する間違える。ね、そして結局は自分が、自分で腹を切らなければならない様な事になった。
すぐその後に言うならばその二人の侍が、ね、余市平衛兵の死体を検視致します。そすとそれは鉄砲傷ではなくて、刀でのえぐり傷だと言う事が解るのです。ね。はあ早まった勘平というけど、もうそん時は遅いのです。ね、そう言う事で私は終って行く人がどの位多いか解らないと思うんです。有り難い運命の星の元に生まれながらです、ね、その有り難いものを頂き得ずして終って行く人。有り難いこの世を、それこそこの世は苦の世、苦の世界で終わって行く人がどの位多いか解らないです。
金光様のご信心は例えばどの様な悪運というかね、悪い運命の元に生まれておっても、悪い言わば難儀が大きければ大きい程、おかげが大きいと言われる程しのおかげが受けられるのが私は信心だと思うですね。廻りが大きければ大きい程お徳も頂けれる、力も受けられるのですね、そういう道を私共は日々おかげを被っておる訳であります。是は本当に私は皆さんのお取次をさせて頂いてから、今日も田主丸のご大祭から帰って見えました秋永先生と、久富先生と3人でお食事をさせて頂きながら話した事でした。
本当におかげを受ける受けない、本当に皆さんがおかげを受けておると言う事実がです、ね、一つ間違えば、例えばそれをお取次をさせて頂いてもです、ならお取次にも、頂き方が間違ったお取次をしたらです、反対の方へ皆んななって行かなければならん所をです、反対の方にならなければならない問題であっても、それを返って有り難い方へ有り難い方へと、展開して行く様なお取次をさせて頂く時は、本当に言わば取次者冥利というものを感じる。有り難いと思います。
今日も実はこうこうこう言う事が色々あったんですよというて、まあ今日あぁ主だったお取次の話を、まあ秋永先生に聞いて貰った事でありました。今日は日田から高野さんという方が毎日お参りをしてきます。もう1年とちょっと前に、日田の共励会に私が始めて出らして頂きました時に、もうそれこそノイローゼの一歩手前と言われる位に、思われる位に晩に休まれないという方であった。
それがその日私の話を聞いて下さったその晩から眠れるようになった。おかげで商売も段々、食料品果物なんかを商うておられるそうですけれども、商売もだんだん繁盛のおかげを頂いた。今日御夫婦で参って見えてから此処でお取次、お願いをなさるんです。先日主人が、富久信会におかげを被りまして、あの時の話にもう大変感動した。帰って来てそれをすぐ私に話してくれます。
今日は富久信会でこういうおかげを頂いて来た。そのお話の中に天地へ還元するというお話を頂いて来たが、天地にお返しをするというお話を頂いて来たが、本当にお前があの様な不思議なおかげを頂いて、この方商売の上にも此の様に段々おかげを頂いて、しかも夫婦仲よう信心が出来る様になって、本当に天地に対する御礼と言った様な事をしてきた事がなかったが、是は天地に対する還元をさせて貰わなければ合い済まんぞと主人が申しますというのである。
今日は分厚い特別なお初穂袋に、ね、所謂天地へ対する所の還元のお供えを、しかも夫婦でね、話し合ってさせて頂く事の御礼をお取次願われました。そこで私はそれをお取次させて頂きながら申しました。必ずしもお供えをしたから、天地へ還元お供えをしたから、それでおかげを頂くと言う事ではないのですよと。お供えをして返って、おかげを落としたと言う様な例もあるのですよというて。
そういう例も話したんですけれども、又お供えをしてから、還元をした積りで居って、積りであって還元になってなかったなんて言う様な話はそげん聞かんでもよいから、ね、その有り難い方の話を致しましょう。昨日二、三日前でした。是も日田の井出さんと言う方がお参りをして来ます。井出さんがおかげを頂きましたから今度は里のお母さんも、一緒にお参りをして来る様になりました。是も13日会の日に合い、初めて合楽の13日会の意味が分かった。
神様の願いが成就するという、大事な合楽では、お日柄であると言う事を分からせて頂いて、それこそ午前中に草1本でもむしらせて頂こうと、おばあさんですよ、むしらせて頂こうと思うて午前中は草取りの御用を頂いて、午後からは皆さんのお話を頂いたというのです。感激して帰った。感激して帰った所が家ではまた感激しなければならない様な事が起こって居った。今までかつてない、東京におる息子から、ね、電報為替で沢山のお金を送って来ておった。今までかつてない事である。
はあ天地の親神様の願いが成就するという、13日という有り難い日を、一日御用させて頂いて、お話を頂いて帰って、有り難い有り難いで帰らして頂いたら、こういう事実がおこっておる。ね、急にそれこそ急に電報為替でも送らなければおられない衝動を、東京におった息子が感じたのである。そして電報で送って来た。はあこの金は唯事んども使うては合い済まんと思うて、あくる日参って来て親先生にお伺いをした。そして私がそれに対して申しました。
それはもう使いなさんな、決して使いどもしなさんなと私が申しました。ね、是は息子の真心と思うて、ちゃんと銀行なら銀行にちゃんと入れときなさい、使っちゃならんと言う訳なんです。さあ所が帰り道にその事を考えた。使ってならん折角頂いた金を使ってはならんと言われれば、是はどう言う事だろうかと思うたと。とうとう分からんなりその日休ませて貰ったら、朝方夢を頂いた。
それはもうお夢が実に念の入ったお夢である。それは東京の息子さんがね、もうそれこそ大変な災難にあっておるというお夢であった。もうそれこそ目が覚めてびっくりした。ね、そしてそん時に、ひらめいたもの。先日送って来た息子のその金をです、そういう大難が掛かって来ておる事をお払いでも頂く事の為に、わざわざ神様はそういうまとまった金でも、彼に遅らせる働きをして下さったんだから、是は天地に対する還元をするが一番本当だと思うて、腹を決めた。
その日はお礼参りが出来なかったけれども、またその朝方にお夢を頂いた。ね、そのお夢の中で又その東京の息子さんが現れた。しかもそん時は前のお夢とは違う、打って変った。それこそこの筋骨隆々とした腕を前に出しながら、ね、お母さんこういう元気なおかげを頂いておるというて、息子さんが言われる所であった。そして片一方の方には大きな桶をこう抱いておられて、その桶の中に桶一杯に鯉が泳いでおるというのである。私それ聞いて本当に感動しました。ね。
だからそれは夢の中での取引であり夢の中での、言わば事なのですから、それはもう夢だからというて、夢のごたる頂き方したんじゃあ、私はおかげにならない。別にそれが形に現れてまあだ、災難にあっておる訳でもなからなければ、ね、おかげを受けておる訳でもなか、ないのですから事実は。ね、けれどもねそういう例えば自分が、その息子に災難が掛かって来る様な事、そこに運命のその岐路に立っておる時にです、ね、
天地に対する所の還元、息子が送って来たお金はまあ、ここにこう言う風に使うのが一番本当だと決心した所に、もうそう言うおかげを頂いておる。夢の中で。しかも筋骨隆々という、力だけではなくてです、所謂お徳というあの、鯉というのはいうならお徳と言う事なんです。ね、お徳まで受けておるというお知らせであった。もう早速その日にお参りさせて頂いて、おかげを頂かせて頂いた後のそのすっきりとしたその気持ちが有り難いと言う訳であります。
今日私夕食の為に、今母の部屋で毎晩食事をさせて貰って居ります。してその横にあの、こう草が取れ取る所がりますもん。そこが雨で雪でもうびちょびちょになっとる。そこへその、鯉が一匹跳ね上がって死んでる訳です。もう泥まみれになって、もう横たわっとるからもう死んどるもんだと思うた。そこで私光昭を呼んで、あのうほら鯉が死んどるから早く片付けときなさいと、言うて申しましたらあのすぐ降りて来た。
ちょうこりゃまだ生きっとりますよっち言うてから、洗ってから入れたら泳ぎよる。はあ、本当にですね、おかげを受けると受けないと言うのはこんなに、言うなら間一髪です。是は鯉だからですけれどもね、人間でもそうなんです。おかげを受けると受けないと言う所はもう、紙一重。しかも紙一重こちらは有り難い方へ伸びて行く道であり、片一方はもうどこどこ迄も転落して行くという道なのですよ。ね、
そういう大変な、私ともは日々を頂いておるのですから、その日々がです、いかに有り難いとか勿体ないとか豊かなね、すっきりしない物があるならこのすっきりしないものを、すっきりする所まで信心で心を、ね、洗い又は清め豊かにならせて頂かなければならないかと言う事が解ります。ね。こりゃあ本当にね、こりゃもう本当に日々お互いがそういう、もうおかげになって行くその場に立ってるんですよ。
頂き方一つなんですよ是は。それをなら頂いたり頂かなかったりで同道廻りをしておる事の事実を見てです、一つ本気でそういう一つの、言わば思い込みというかそういう腹を作ってしまわなければいけません。夕べ遅う高芝さん所から電話が掛かって来た。今朝ももう私が3時半に出たら又電話が掛かって来た。それこそ家庭に大変なな、いうならばそりゃあもう本当びっくりする様な事に成って来た。二番目の息子さんが、会社の勤めの帰りに、ね、雪でこうあれ滑って、そして自動車に突き当てた。
所が突き当たったとが、なんとその素晴らしい自動車やったげな。所が乗っとるとが悪かった。その土地の遊び人じゃった。ほうれであぁたもう引っ張られていってから、もうまあだ帰って来ん帰って来ん訳です。ね、今朝からお母さんがお届けにする、するのにね、まあだあちらから音信不通であると。電話も掛かって来ん。しかもそのうまあ通知のあったは、だけで分かっておる所では、その家内に百万円金を持って来いと。
もうさあ家ではもう大変な心配。けれどもさあ、朝御祈念に参ってからお取次を頂いてです、どうしたなら良かろうか、どうしたなら良かろうかじゃなくて、ちゃんと普通、日頃通りに仕事をしなさい。息子達にもそげんいいなさい。ね、今夜の月次祭にはお礼参りが出きる様におかげ頂いたらいいじゃないかと私は申しました。したらおかげで今日はお礼参りに出て来てますよ。
もうこの辺の所の扱いというかお取次をです、私が一つ間違っておったらどんな間違いになっておったか解らんです。ね、まあ相手の人が少しけが人だったから、広島までも送って行ったり、ね、まあ百万て言うたつは五万円位でか、片付いたと言う様な、大変順調なおかげを頂いて、丁度午後の奉仕の時に、兄弟達がそれでも心配になるというから、行くというから、行った時にはもうそういうおかげにすでになっておった。
朝から行ってそりゃ大変のそりゃ心配な事さあ誰にも頼んで、ここにも頼んでこうせんの、ああせんのっち言ったら、それこそどう言う事になっておったか分からんのです。そういう例えば日々皆さんがお取次を頂いてです、心がすっきりと心配が安心安心が喜びに変わって行く様なおかげの頂けておると言う事を、有り難いと思わないけん。ね、そういう場に立った時にです、それこそ今日は忠臣蔵じゃないけれどもね。
それこそ春日の橋の食い違いで、こうこうやってこう食い違って行ったんではおかげにならんのです。ね、それこそ心が暗い、ね、そういう心の中で行われる事が、良い事が出来るはずがありません。心がすっきりと有り難い。本当に有り難いというその、心から生まれて来る所の、日々でなからなければいけない。愈々本気で、ね、すっきりとしたおかげの頂けれる、今日の例えば月次祭の事でもです、ね、例えば若先生がいない出来なかった。ああ其処ん所はどう言う事であろうかと思う。
けれどもそれには、なら弟がそれに変わる役をさせて貰えたと言う事が有り難い。おかげで楽の方も、ね、丁度上野さんが来とったからすぐ洋服脱いで、楽の洋服を着て、ああ笛のおかげを頂いてくれた。と言う様に、まあそのそう言う風につがめがおおて行くおかげを頂かなきゃいけない、どういう場合であっても。ね、此処にかげたと言う時には愈々、反省させて貰うて、其処ん所をお詫びで埋め、ね。
又はお願いで埋めて、心の状態をすっきりとして、日々の御用に取り組んで行かなければならんと言う事で御座いますね。お互いですお取次を頂いて、それこそ今日岩沢さんじゃないけれどもね、もうそれこそ心が真っ黒なる様なこっちの方が神経衰弱になるごたる様な問題であっても、此処へ参って御理解を頂いて心が太うなる。憑いたもんが落ちた様にすっきりと帰られる。そこに信心の有難さを解らして貰うおかげを頂きたいですね。
どうぞ。